ITエンジニアからリンゴ農園経営者へ!サノバスミス流ハードサイダーのブランド哲学と畑から始まる製造戦略とは?

小澤浩太さん
長野県大町市出身。株式会社サノバスミス代表取締役。大学進学で東京に上京し、就職を機にUターンで長野県内のITエンジニアとしてキャリアをスタートさせる。その後、リーマンショックをきっかけに2010年にエンジニアを退職し、家業の果樹農園経営を引き継ぐ決意を固める。その後、世界の主要な果樹産地で栽培技術を学んだのち、リンゴを用いた果実酒の世界に傾倒する。2015年にアメリカのオレゴン州の醸造家 Nat West (Reverend Nat’s)に師事し、化学者・デザイナーの仲間と共に、リンゴの果実酒「ハードサイダー」の研究開発を行う活動「Son of the Smith(サノバスミス)」を創業。

脱サラして0から農業の世界への挑戦

代々木のクラフトビアバーで『Son of the Smith(サノバスミス)』を飲んでから本日、工場にお邪魔できるのを楽しみにしていました…!ハードサイダー誕生のお話もとても気になるのですが、まずはリンゴ農家4代目の小澤さんの現在に至るまでの経歴をお伺いさせてください!

長野県の大町市で生まれで大学進学で東京に上京し、就職を機にUターンで松本市の産業系IT企業に就職し半導体生産メーカーの生産管理システムのデータベースマネジメントに携わっていました。

2009年のリーマンショックをきっかけに自分のやりたいことを見直し、自分にしかできない、替えの利かない仕事を目指して家業を継ぐ決意に至りました。

上京する時は、家業を継ぐ意思はなかったんですね。

全くありません。実家は専業農家で、小さい頃に両親の手伝いをしていたことはありますが、生業にするつもりは一切ありませんでした。

小澤さんのご両親は家業を継ぐと決めた決断に、喜ばれたのではないですか?

鬱になりましたね。両親は自分たちの代で閉めようと思っていたみたいです。

えっ!?鬱ですか…?てっきり、喜んでくれたのかと…

心の何処かで喜んでくれるのではないかと私も期待していました。

両親は徐々にサイズダウンして閉めていくライフプランだったと後から聞きました。一般的に農家を辞める場合、すぐに辞められないんです。鉄の支柱や、棚を撤去して更地にするのにも土木作業の処理が必要で、費用もタダではありません。だから、いきなり一般企業に就職した長男が戻ってきて家業を継ぐと言われても、寝耳に水ですよね。

今では応援はしてくれていますが、両親の理想の老後プランを勝手に改変してしまったので、当時は色々と言われましたよ。言われて初めて気づくことも多く、今となっては両親は農家を継ぐ意味の重さに気づいてほしかったのかなと思います。

大変さを知っているからこそ、子どもにはやらせたくなかった親心ですか…。

はい、サラリーマンから異業種へのチャレンジで、0から知識や技術を蓄える時間を作ってくれた家族はありがたい存在です。

家族の理解や支えがあるのは、心強いですね。家業を継ぐ決意をした当時からハードサイダーの構想は持たれていたのでしょうか。

事業の構想まで考える余裕はなかったです。

同業者は農業高校を卒業して、大学は農学部に通い、大学院で博士課程を終えるエリートコースの人たちばかり。私は一切そのルートを通らずに来ているので、リンゴ作りだけではなく、土作りや農業の基礎を何も知らないことを思い知らされました。

リンゴ農家を継ぐと言っても、確定申告の書面の名前が変わっただけに過ぎないんです。だから、若い頃から農業のキャリアを積んできた仲間に対して、すごくコンプレックスと同時に、尊敬を感じていたのだと思います。

コンプレックスと言い切るほど、はっきりとした自覚をもたれていたんですね…!

私は高校時代はやりたいこともなく、東京の大学に進学してやりたいことを見つければいいくらいにしか思っていなかったです。一方、彼らは学生時代ずっと家業について考えているんです。海外で先駆的な農業を勉強し日本に持って帰り、独立して融資を受けて農園をやる方もいる。

学生時代から農家を継ぐと決めている人と今から張り合っても勝てないなと…。

やりたいことが明確でそのために何10年かけて経験を積んだ人と、ある時点で交わった時に勝てるかと言われると難しいですよね。私ならコンプレックスよりも絶望を感じてしまいそうです。

私の場合、作ったリンゴを買ってくださるお客さまが美味しいと納得してくれることが何よりも大切だと思っています。

同業者には海外経験者のエリートの方もいれば、私のように脱サラして農業を始める方など様々です。同業者の横のつながりでお互い楽しみながら、技術を高めようとするポジティブな雰囲気に救われましたね。

脱サラして農業に転職した経歴を面白がってくれるだけではなく、困った時に連絡を取り合ったり、お互いの農園の視察など交流が続いています。

小澤さんがどんどん農業にのめり込んでいく印象を受けます…!

まずは、私自身が農業の職人にならなければいけないと思っています。そうでなければ、自分が作ったリンゴを納得してお客様に買ってもらえないし、苦労やこだわりがないと、本当の意味で当事者になれないし、農業の世界で生き残れないと。

定番商品は作らず、作品づくりは一期一会

サノバスミスの商品はかなり種類が多いですが、商品開発はどのようにされているのでしょうか。

サノバスミスでは、市場リサーチやマーケットインでターゲティングに当てはめた商品を作ることはせず、私たちの作りたいものを作っています

実は、サノバスミスはクラフトビールに影響を受けてる部分が多いんです。クラフトビールメーカーは基本的に2〜3週間のサイクルで製造ラインをまわすことが多く、月に1〜2ぐらいのペースで新作を出すところもあります。

一方、サノバスミスは農業生産から行うワイナリーに近いやり方で原材料のリンゴから生産しているので、収穫周期は1年に1度だけです。

つまり、1年で特定の時期しか収穫できないリンゴを製品ごとに割り当てて生産しているので、毎月新作を製造することができない生産体制なんです。だから、限られた原材料に感謝しつつ、無駄なく使うのが、サノバスミスのコンセプトになっています。

サノバスミスは種類の多さはもちろん、1つ1つの銘柄にこだわりを感じます。これらのアイディアはどこからインスピレーションを受けるのでしょうか。

コロナ禍で都心部に行くことができなかった時期に、山に行く機会が増えたことで農業を超えて、植物界に踏み込んでいく機会が増えました。

長野県に工場があるので、立地柄スキー、スノーボード、登山やサウナ、キャンプなどアウトドアに精通された方が多くいらっしゃいます。その方から、山にモミの新芽が生えている情報を教えてもらったり、カエデの樹液を共に採取したり趣味やカルチャー、お酒や旅を通じて出会った異業種交流から着想を得ることは多いです。

また、クラフトビール、ワイン、ウィスキーやクラフトジンを造られている方々との横のつながりも1つの大きな要素だと思います。お互いに教え合ったり、皆さんが持つカルチャーや職業を通じての経験に多大な影響を受けているので、それをハイブリッドして作品を作っている感じです。

長野県大町市にあるサノバスミスの工場

商品ではなく「作品」なんですね…!

実はサノバスミスで毎年必ず作る定番品は1種類しかありません。それ以外は季節やその時のノリで作ってます。

サノバスミスのコンセプトを面白がってくれる方も多いのではないですか?

面白がってくれますけど、当初は困惑される取引先も多かったですね。「去年の銘柄をまた仕入れたい」と注文頂くことも多いのですが、基本的に定番のオリジナル商品は作っていません。

一期一会ですね…!

ものづくりのあり方も、販売本数も限られています。そもそも、収穫できるリンゴやホップなど農産物自体が毎年同じ物ではないので、その年のこの時期にしかない作品を作りたいんです。

限定的であることが今に繋がる商品開発というのはとても興味深いですね!

製品の試作品と名刺を持ってアポイントを取り、飛び込み営業などで拡販をしたことはないんです。基本的には長野県大町市で籠もって、作りたいものを作っていたら人から人へ自然にお声がけ頂くことが増えていきました。

もちろん、年間売上の目標はありますが、Eコマースを戦略的にやっているとは言えないと思います。1つ1つの作品の完成を喜んで、面白がってくれる取引先が問い合わせをくれてお買い求め頂く。その作品が完売したら、その裏で別のテーマの作品がリリースを控えているというサイクルを回し続けている感じです。

まるで、ハードサイダーという作品で表現するアーティストのようですね。だからこそ、指名で声がかかったり、求めてくれる人がいるのかなと思いました。

良くも悪くも仲間うちのドラクエ感にグルーヴを感じてくれているのかもしれないです(笑)

経営はドラクエのようなRPGの延長線

仲間内のグルーヴ感から創業に至るまでのきっかけはなんだったのでしょうか。

もともと、趣味で醸造を学んでいたメンバーで、自分達でオリジナルのお酒を造りたいと醸造研究の視察先のアメリカで話し合ったタイミングがあったんです。

まさかの趣味が高じて、ビジネスになったパターンですか!?

そうです!当時、共に醸造旅をしていた仲間で起業しています。私の実家はリンゴ農家ですし、メンバーそれぞれの得意分野をかけ合わせてハードサイダーを造ったら面白いのでは、という話がでました。

醸造旅の最中はSNSで旅の内容を積極的に発信をしていたおかげで、いざこのチームで自社工場を作り、法人化をすると決まった時は多くの方に応援して頂きました。その後も、フェスへの出店などで当時まだ国内では馴染みの薄かった「ハードサイダー」のPRをしながら、私たちの活動を応援してくださる仲間も徐々に増えていきましたね。

旅仲間と趣味の延長線で始まったというのは面白いエピソードですね。会社や経営の方針はどのように決められているのでしょう。

醸造会社の経営は、今でも勉強中です。会社としては情熱を持って農業や原材料生産から一貫した酒造りをしたいと思っています。

オープンな経営で外から出資を受ける経営スタイルも選択肢としてはあります。しかし、私たちの出発点は旅仲間であり、ドラクエのようなRPGの延長でここまで続いている感覚なんです。

現在、代表の私ともう1名が株主という閉じた世界での会社経営ではありますが、このインディペンデントさが、私たちは好きなんですよね。

RPGのような経営という表現が小澤さんらしいですね…!法人化にあたっての準備期間のエピソードはありますか?

法人化するタイミングから酒類製造免許の申請準備を行ったり、自社工場の物件手配、機材の設計やインポートなど怒涛の1年でした。2020年3月に酒類製造免許を交付いただいた翌月、自社工場の初稼動を迎えたタイミングで、緊急事態宣言が発令され、社会が一変してしまった時はお先真っ暗でしたね。

出鼻をくじかれるとはまさにこのこと……!

はい、大変すぎてあまり思い出したくないくらいです。

酒類製造免許申請時に取引事前確約書を税務署に提出するんですが、通常だと数社分の署名を集めるのが通例のところ、サノバスミスは全国から約150社の応援の署名が集まったんです。その時、一筆書くよと応援してくれた飲食業界の方々もコロナ禍で厳しい状況になり、私たちも免許申請や融資申請時に計画していた製造販売計画の前提が全て壊れてしまった時は面食らいましたね。

その期間はどのように過ごされていたのでしょう。

2019年1月の法人設立から2020年4月の自社工場稼働までの期間、当時大学院で化学を専攻していた共同創業者の池内は大学院を終業し、醸造の責任者として開業前の1年間は地元のクラフトビールのメーカーに就職するなど各々で開業準備をしていました。

今となっては精神と時の部屋じゃないですが、コロナ禍で外に出る機会が減った分、既存のリンゴに加え新たに栽培品目となったホップ畑の管理やその栽培研究、山や森などでのフィールドワークに時間を費やせました。そのおかげで、私たちがなぜ長野県でチームで会社にしてたのかなど、改めて原点に立ち返る機会が作れたと思っています。

オンラインショップは遠隔地の人が買える窓口、最後の砦

畑で生産した物を直接お客さまに届けるというD2C(Direct to Consumer)の文脈において、サノバスミスで大事にしていることはありますか?

サノバスミスの原点は、板一枚置いてバーカウンターのような立ち飲みスタイルで営業する所謂、飲食店の露店営業です。フェスへの出店や工場に隣接しているバー営業なども、この活動の延長だと思っています。

その場でたくさんのお客様と顔を突き合わせて作品について説明したり、感想を言い合ったりやり取りができたのが原体験になっています。

もちろん、Eコマースで全国のお客様にサノバスミスを知ってもらい、届けることも大事だと思ってはいるのですが、直接お会いしてお酒をサーブしなら一緒に乾杯する体験をお客様と一緒に私たちもシェアさせてもらう感覚はリアルでしか味わえないし、大事にしたいですね。

体験となると、やっぱりEコマースだけではまかないきれないということでしょうか。

まかなえないと思います。地元の酒屋や飲食店で取り扱っていないエリアも多いので、そういう時に自社サイトに来てもらえたら直接お届けするツールでしかない。だからEコマース1本で何かを成り立たせようとかは考えていないです。

オンラインショップはカラーミーショップで作られていますね。

はい、オンラインでも買えるようにしてほしいという要望で必要に迫られて作りました。デザイナーのメンバーがEコマースの構築と運営をしていますが、あくまでも遠隔地で買いたい人が買える窓口という位置づけで、最後の砦のように考えています。

カラーミーショップに決めた理由も当時、iPhone用のアプリの操作が使いやすいと聞いたので使い始めました。他のショップツールもありますが、比較したわけではないので特にこだわりはないです。

Son of the Smith Hard Cider “NIGHTHAWKS” の商品ストーリー

必要に迫られたからとはいいつつ、商品詳細ページに記載されている作品のストーリーやノートはものすごく細かくまとめられている印象を受けました。

1つ1つの作品に付随する情報量がとても多いんです。原材料のリンゴの情報から、醸造の方法まで情報量が一般的な果実酒の情報量の比にならない。

コロナ禍で始まった事業で対面の営業ができなかったこともあり、これらの情報は仮に万人に理解されてなかったとしても、言語化をした方がいいと思い、現在の商品詳細ページに至りました。

文字数は多いし、専門的な言葉が頻出する論文のような商品詳細になったとしても、私たちが後で見返した時にその時の状況や畑の作況などが思い起こされるようなアーカイブとしての機能も兼ねています。

Son of the Smith Hard Cider “KEEP IT HAZY”のBrewer’s Note

まるで、観察日誌のようです…!

農業から醸造、製造業まで守備範囲がかなり広く、様々な技術を詰め合わせているので1つの作品ができるまでの情報量はどうしても多くなってしまいます。

サノバスミスは農業を軸に、長野県からリンゴ産業、果樹産業を私たちなりの観点で盛り上げていきたい想いが経営方針の根幹にあります。だから、作り方や素材を全て開示しており、それを読んで作ってみたいと思う人が増えたら良いし、原材料を栽培する農家が増えたら嬉しいですね。

お客さまに直接届けられるのであれば、手段は問わない感じですね。

現状、量販の割合が1番多く、首都圏を中心に全国の酒販店やタップルーム専門店への卸がメインです。

D2Cで直接販売するほうが、卸と比較すると利幅は高いので経営としては良いとは思います。しかし、酒販店や飲食店など業界に携わる方々は一緒に国内シーンを盛り上げていく仲間だと思っています。

そして、取引先はサノバスミスの理念を理解してくださるパートナーであり、よき理解者でもあります。サノバスミスを取り扱うことで、パートナーにもメリットが生まれてほしいし、それが更に大きなグルーヴになっていったら本当に嬉しいです。

直接届けられる手段だと、オンラインショップ以外に大手Eコマースサイトへの出店も選択肢に入ると思ったのですがいかがでしょうか。

在庫がないです。逆を言うと、在庫があれば今とは違う展開ができると思うので、可能性は否定しません。

最近は、全世界的にクラフトビールが流行っているので、国内だけではなく東南アジアを中心に輸出案件のご相談をいただくケースも増えている実感があります。

海外のクラフトビールはラベルがお洒落でたくさんの種類がありますよね!

直近10~20年の経済発展で東南アジア諸国の経済レベルは想像以上に高くなっています。その課程で経済基盤ができて、所得レベルも上がっています。1つの国で数パーセントかもしれませんが、いいものにお金を払う時代になってきているのかもしれないですね。

自分のやりたいことに手を差し伸べてるキーマンがきっといる

海外展開などこれからますますの発展が待っているサノバスミスの今後の展望を教えてください!

サノバスミスの安定供給のために原材料の生産体制を整えていく必要性を感じています。

クラフトビール業界でよくある、第2工場を建設して生産量を増やすような製造業の場合、原材料はほぼ100%輸入するケースが多いです。つまり、商社経由で原材料の仕入れ量を決め、製造規模と同時に売上を拡大させて設備投資や生産の効率を上げます。

しかしサノバスミスの場合、新しいことを始めるにもスタートは畑からです。だから、考え方はワイナリーに近く、上限はあると思っています。

サノバスミスの認知が広がってきたと実感する感覚や、売上として如実に数字が上がった分岐点のようなタイミングはございましたか?

活動を続ける中で、コロナ禍の様々な規制緩和や社会の変化もあり、少しずつではありますが、サノバスミスの作品を応援してくださる方が増えてきていることはとてもありがたく思っています。

サノバスミスは畑から行う壮大な実験であり、私たちが歳をとっても心ゆくまで様々な実験ができる居場所づくりのための経営だと思っています。

そして、会社の理念でもある「自分の子供達やその先の世代にもずっと愛されていくような日常に溢れるサイダーカルチャー」を日本で育んでいくことに真っ直ぐに取り組んでいきたいと思っています。

だから、売上で何億円を目指すとかも大事ですが、誰も飲んだことないものを畑で作りたいだけなので経営者としてはあんまり良くないと思います(笑)

良し悪しではないと思います(笑)しかし、良いものを作っても知ってもらうためのきっかけづくりや販路は必要不可欠だと思います。その点で、サノバスミスの事例で汎用できることはなんだと思われますか。

自分が何者であって、何ができて、何ができないのかを承知することだと思います。

サノバスミスは旅仲間の仲良しクラブを崩さずに会社にしている、ある意味で最もリスクの高い経営をしていると思います。会社が崩れることと、友達関係が失われることがほぼ同義なのが1番悲しいです。

しかし、それを覚悟して各々が責任感を持ち、やると決めたことが信頼に繋がっていると思います。それは、同業者でも、取引先でも誰でもよくて、自分のやりたいことに手を差し伸べてくれたり、助言をくださる方が必ずいます。

起業する時に先輩に、自分にとって大事なキーマンは必ず出てくるよと助言を頂いたことがその通りになっていると思っています。まずは自分の今と、周囲の状況を把握して承知することが大事なのではないでしょうか。

足るを知るってことですかね…!

高望みをしないことも大事ですね。自分ができないことはできないと割り切る。勉強したらできるかもしれないですが「今、何ができるのか」が大事だと思っています。

例えば、私はワイナリーから醸造の道に入りましたが現在、仕込みや発酵管理はほぼ100%醸造責任者の池内が担当しています。代わりに、彼の専門分野ではない農業のフィールドで、私たちが栽培や品種改良などの役割を担っています。

つまり、追求した先に、自分のやりたいことで食べていけるチームができて、家族を養えていけたら楽しいし、幸せじゃないですか!

「”好き”を仕事に」を実現し続けられているのはとても幸せなことですよね!そして、それを実現している小澤さんの言葉だからこそ、現実味を感じる素敵なインタビューをありがとうございました!!

編集後記

好きなものを語る人の話しは何時間でも聞いていたい…と感じた今回のインタビュー。

最終的には果樹産業の未来発展を理念に掲げる小澤さん。先祖から受け継がれた農家の土地はもちろん、魂など精神的なものまで農業は1世代にしてならずという考えは、リンゴという永年作物として、小澤さんの後の世代にも継承されていき、DNAとして残り続けると語っていただきました。

サノバスミスという会社の事業を通じて証明したいのは自分が死んだ後に何を残すことができたかと語る小澤さんの今後に目が離せません!

文:杉山 美和
写真:杉山 美和/齋藤 彩可

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